島を眺める方向によって多様な景色を見せることでこの島名をもつ多景島は、弥生時代から島そのものを御神体として古くから 人々に崇めれてきました。 もともとこの島は全体が花崗岩でできていますが、江戸時代に彦根の荒神山から土を運んで木々を植えられました。それまでは、 竹で覆われていたため竹島と呼ばれていたそうです。
明暦元年(1665)に琵琶湖に沈んだ人々と魚介類の供養の為に慈雲院日靖上人が開山した日蓮宗のお寺です。 日靖上人は越前の国大野の出身で、長浜の妙法寺で修行中の明暦元年に夢のお告げでこの島に渡り、石の宝塔と 庵室を建立されたそうです。第三代彦根藩主井伊直澄は法華経信仰が篤く、彦根藩裏鬼門の祈願所としました。
大正13年(1924)に建立され、島の一番高いところにあります。五角形の柱の五面それぞれに明治天皇の五箇条の御誓文が刻まれています。当時、滋賀県の警察部長だった水上七郎氏の呼びかけで約70余万人から寄付を受け、紛争などが絶えない時代を匡正すべく日本の中心地であるこの島に建立されました。皇室からも下賜金を賜ったそうです。
第三代彦根藩主の井伊直澄が父・直孝に恩義を感じ、供養の為にこの石造七重層塔(高さ8m)を建てたといわれています。
若き日の日蓮上人のお姿で、高さは6尺(約180㎝)です。
日本に一体しかない出山釈迦牟尼佛の座像が祀られています。