竹生島は、長浜市葛籠尾崎沖約2㎞の位置し、周囲約2㎞の針葉樹に覆われた島です。西国三十番札所の宝厳寺(ほうごんじ)や 都久夫須麻神社(竹生島神社)があり、古くから「神を斎(いつ)く島」として信仰されてきました。 また、琵琶湖八景(深緑、竹生島の沈影)としても数えられます。
天照大神のお告げにより神亀元年(724年)聖武天皇が行基を勅使として遣わし、創設させたのが始まりとされます。165段の石段を登りきると本堂がお目見えします。本堂は重要文化財に指定され、本尊の大弁才天は江の島・宮島と並ぶ「日本三弁才天」のひとつで、その中で最も古い弁才天のため、当山のみ「大」の字をつけ、大弁才天と称します。
秀吉を祀った京都東山の豊国廟の正門、極楽門を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたと言われ、豪華絢爛と言われた桃山様式を色濃く残す貴重な遺構です。最近の調査で、豊臣秀吉が建てた幻の大阪城の極楽橋であると言われ、この度、色彩調査を行いその彩色を復元いたしました。
重要文化財である宝厳寺渡廊は、唐門などと同様に慶長8年(1603)の建立であると考えられています。宝厳寺観音堂から都久夫須麻神社に至る幅一間の廊下で、桁行八間の低屋根と桁行二間の高屋根に分かれています。天井は垂木を見せる勾配型の化粧屋根裏で、柱間に連小窓を配します。豊臣秀吉が朝鮮出兵に使用した御座船日本丸船櫓の材料を用いて建てたと言う伝承から「舟廊下」と呼ばれています。
文明19年(1487)に宮大工・阿部権守が建立。江戸時代初期に落雷で消失しましたが、図面を発見し、平成12年に約350年ぶりに再建しました。古来の工法に基づいて建築し、四本柱に32体の天部の神々を描き、四方の壁に真言宗の八人の高祖を配しています。
今から450年前、豊臣秀吉が天皇をお迎えするにあたり、伏見城の束力使殿を神殿とし寄進したもので、本殿は「国宝」となっています。内部は桃山時代を代表する優雅できらびやかな装飾が施され、天井画は狩野永徳光信の作と伝えられています。
都久夫須麻神社のびわ湖に突き出した所に竜神拝所があります。竹生島の中で一番の絶景で、ここでは素焼きの小皿に願い事を書き湖面に突き出た鳥居に向かって投げ、鳥居をくぐれば願い事が成就すると言われる「かわらけ投げ」をお楽しみいただけます。